歴史

坂田又兵衛の歴史

坂田又兵衛は、京都府南部・山城地域、久世郡久御山に在ります。

※「久御山」という産地に馴染みが薄いと思いますが、佐山の浜台(木津川の河川敷)の茶園は約350年前の江戸時代初期から栽培していたと伝えられていて、淀藩主稲葉侯より、園名を賜った茶園も残っています。

先代からの言い伝えによると、坂田又兵衛は、元々は「庄屋」であり淀藩から統治を命じられ、古く先祖の代には「淀城(現・京都市伏見区淀本町)」に茶を献上していたとも伝えられています。

坂田又兵衛の現在のかたちである碾茶づくりは、明治から始まり現園主が五代目となります。

代々、毎年出来上がった新茶を「北野天満宮」「石清水八幡宮」に献茶させていただき、農林水産大臣賞受賞以後は「明治神宮」新嘗祭において御抹茶を奉納させていただいております。

先祖代々受け継がれてきたこの土地で、これからも伝統を継承していきます。

※久御山町史 第1巻より引用